能登半島で育まれてきた独自の文化
能登半島は、先端までは金沢市から直線距離で100km(道なりでは140km)の日本海側最大の半島です。「能登の里山里海」として世界農業遺産に指定され、いまも素朴ながら美しい景観がのこる地域です。金沢から一定の距離があることから、藩政期にも独自の文化が育まれ、人々に受け継がれてきています。 その代表的なものが「祭り」です。
取材協力:田谷漆器店代表取締役 田谷昭宏様
輪島にて江戸時代後期より漆器を取扱い続ける、創業200年を超える老舗の漆器店。田谷昭宏さんは9代目の社長となります。
能登半島は、先端までは金沢市から直線距離で100km(道なりでは140km)の日本海側最大の半島です。「能登の里山里海」として世界農業遺産に指定され、いまも素朴ながら美しい景観がのこる地域です。金沢から一定の距離があることから、藩政期にも独自の文化が育まれ、人々に受け継がれてきています。 その代表的なものが「祭り」です。
能登の祭りは、「灯り舞う半島 能登 〜熱狂のキリコ祭り〜」として、日本遺産に登録されています。キリコ祭りとは、7月~10月にかけて能登全域で行われる祭りの総称で、200もの地域で個性ある祭りが行われています。
これらの祭りに共通して欠かせないものが「キリコ」です。 キリコとは、直方体の巨大な灯篭のことで、最大のもので16mもの大きさがあります。正面の和紙に豪快に吉祥文字が描かれ、上部に切妻屋根、ぼんぼりなどが設置されています。祭りの夜にはこれらが街を練り歩き、幻想的な風情を醸しだします。
今回、箔一では輪島市のキリコの修復を手がけました。 輪島のキリコは5m前後のものが主流ですが、日本有数の漆器文化を受け継ぐ街らしく、総漆塗りの豪華な仕上げが大きな特徴です。細かな装飾は仏壇を作る職人らが手掛けており、金箔もふんだんにあしらわれ、たいへんに繊細かつ華やかな仕様となっています。
キリコは保管しやすいよう、いくつものパーツに分解できるようになっています。釘やねじなどの留め具をほとんど使わず、ホゾを合わせて組み立てる巨大なパズルのような構造で、その設計は極めて緻密です。
今回、箔一で箔をあしらう作業を通じて驚かされたのは、「小さなパーツにも一切の妥協がなく、それぞれがひとつの工芸品といえるほどの作りこみがなされている」(箔一職人:木戸口善夫)ことでした。龍の装飾であれば、そのうろこの一枚まで丁寧に作りこまれており、裏に隠れて人目につかない部分にまで抜かりがありません。作業を通じて、キリコを作った職人の誇りを強く感じたといいます。
また今回の修復は、輪島市の「田谷漆器店」様からの依頼で行いました。同社の田谷社長は「能登の人にとって、キリコは心の拠り所。キリコを共に担ぐことで、町内の人たちのつながりが生まれ、地域に一体感が生まれる」。だからこそ、キリコは大切なのだと言います。能登で育ち、やがて都会に出ていった若者たちも「お盆も正月も帰ってこなくても、祭りの日だけは帰ってくる」こともあるといいます。いくつかの町内では、担ぎ手が少なくなっている現状もありますが、同級生のつながりで仲間を集めて担ぐような動きも出てきており、キリコが人々の輪を作っているのは今も変わりません。
これまで、輪島市ではキリコの金箔についても、市内にある仏壇職人の手で修復をしていました。ですが、それも難しい状況になりつつあります。かつては、市内に四軒あった工房が、いまでは二軒となり、職人の高齢化もすすんでいます。後継者がいないため、キリコのような大掛かりな装飾をこなすことが困難になりつつあります。箔をあしらう経験と技術は一朝一夕には身に付きません。特に輪島のキリコについては、箔のみならず漆芸などの知識も必要なことから、より高い技量が求められます。
箔一は、これまで新しい技術を用いて金箔を日常で使えるようにしていきながら、伝統的な箔押しの技術を研究・継承し、文化財の修復などを手掛けてきました。金箔は日本中の様々な文化財で用いられていますので、貴重な遺産を次世代に受け継いでいくためには、修復の技術を絶やしてはなりません。
箔一が修復をお手伝いしたキリコは、8月下旬に行われる輪島大祭にて披露されます。