職人たちが集まり、互いに技を盗みあっていた
昭和の初めの頃は、箔打ちは一つの工房に多くの職人が集まって行われていました。
みなで肩を並べて打っていると、腕の良いベテランと、技術力の低い若手などの差がはっきりわかります。
当時は、若手であっても先輩から教えてもらうことなどできませんでした。
だから、意欲がある人間は上手な人のやり方を目に焼き付けて、必死に技を盗んでいました。
職人ごとに様々な箔が作られており、金箔ばかり打つ人もいれば、真鍮やアルミを打つ人など、それぞれが得意な箔を作っていました。
こうした状況は、昭和30年代のころに大きく変わりました。
「蒸着」という金属のメッキ加工の新たな工業技術が確立されたのです。これによって、仏具などを効率よく着色できるようになっため箔の需要は一気に縮小しました。
特に、洋箔(真鍮箔)を作っていた職人たちの仕事は大きく減っていったのです。