【語り継ぐこと】グラシン紙を使った、新しい箔打ち紙について

■語り継ぐこと Vol.3

語り部
浅野志津雄(箔一相談役)

金沢箔の文化を担ってきた方に、歴史の話をお伺いしています。
今回は新しい箔打ち紙が開発されたころの話を、当社相談役に聞きました。

幅広い用途で使われていた、金属箔

昭和30年代ごろには、箔の業界は大変に活況でした。工業的な用途も含めて、幅広い業界で様々な箔が使われていました。
当時は、仏壇などがよく売れていた時代です。修繕や仏具の需要も多くありました。また、カメラのフラッシュをたく際には、アルミ箔を燃やすことで瞬間的な光を得ていました。さらに、各家庭に必ず日の丸がありましたが、旗竿の先頭にある飾り(竿頭)には洋箔や金箔が用いられていました。

その上、タイやミャンマー、カンボジアなど、アジアの仏教国でも日本の箔は評判がよく、かなりの枚数が輸出されていました。そうしたこともあり、とても忙しい時代でした。

断切金箔
断切金箔では、グラシン紙に墨を浸透させたものを使っています。浅野相談役の父である浅野太一しが実用化にこぎつけ、そのノウハウは独占することなく、業界全体に広く伝えました。

品質改善と効率化が課題になっていく

こうした中、課題の一つが箔の品質のばらつきでした。
数万枚もの発注があれば、複数の職人が打った箔がまとめて納品されます。職人の腕は様々ですから、品質がばらつき、中には不良品が混在することもあります。

そうした課題が無視できないものとなり、品質の均一化と生産効率の向上への必要性が高まりました。この課題に取り組んだのが、私(相談役)の父であり、浅野製箔の社長であった浅野太一です。彼は、箔打ちの自動化と、新しい箔打ち紙であるグラシン紙の導入を目指して研究開発を始めました。

箔打

現在でも通用する、箔打ちの自動化の技術

箔打ち職人は、箔がまんべんなく伸びるように打つ場所を絶妙に移動させていきます。この所作を研究し、機械で同じような打ち方を再現する研究がはじまりました。職人が長年の修行によって身に着けた技術、経験や勘といったものを分析し、機械化していったのです。この時生まれた原理は、現在でも十分に通用しています。

また同時並行で取り組んだのが、打ち紙の改革でした。箔打ちが自動化されたことで、大量の箔打ち紙が必要になりました。しかし、従来の和紙で作る箔打ち紙は、制作に半年以上かかるうえ、とても高価なものです。これがボトルネックになって生産効率があがらなかったのです。

 

グラシン紙を使った、新しい箔打ち紙

目を付けたのはグラシン紙です。グラシン紙は、パルプを高圧で伸ばしたもので、透明で非常に薄く、表面が滑らかです。箔打ち紙は、和紙を打って薄くなめらかにしていきますが、この工程をすでに終わっているともいえます。

ここに墨を塗布するアイデアは、実は古くからありました。職人たちの間には、銀箔を打つ際に箔打ち紙に墨を塗ると早く仕上がるという、ちょっとしたコツのような言い伝えがあったようです。これをヒントに、ほかの材料との配合や塗る回数などを試行錯誤することで、和紙とそん色のない、カーボン紙による打ち紙を完成させました。完成したグラシンの打ち紙には、カゼインといった牛乳のタンパク質なども塗布されています。表面の摩擦係数や、紙の丈夫さ、伸縮性など様々な要素を満たすために、本当に苦労をして最適な配合を見つけたようです。

業界を変えた、箔打ち紙の改革

当時、浅野太一はこの技術を独占することなく、箔業界全体にオープンにしてしまいました。業界全体のことを考えて、とのことでした。これは、金沢が箔の一大産地になることにも、少なからず影響しています。

この技術は、洋箔(真鍮箔)づくりを念頭に開発されたため、金箔については和紙の打ち紙が使われ続けていました。しかし、昭和36年の親鸞聖人七百回大遠忌をきっかけに、全国で寺社仏閣の修繕が盛んになり金箔の需要が爆発的に高まったことから、金箔においてもカーボン紙を使った製箔技術への取り組みがなされました。これが、今でも金箔づくりの主力になっている断切金箔の始まりです。この時にも、浅野太一が中心的な役割を果たしています。

ちなみに当時は、品質の良いグラシン紙が豊富にありました。そのため、良い箔打ち紙も作ることができました。しかし、最近は、こうしたものが手に入りにくくなっています。伝統工芸の技術がのこっても、道具がなくなってしまえば作り続けることができません。こうしたことにも、危機感を強める必要があるでしょう。

断切り箔
断切金箔では、およそ1000枚単位で箔を切り揃えることができるため、効率も大きくあがりました。
 
新聞
昭和54年、浅野太一が勲五等瑞宝章を受章した際の新聞記事。戦前戦後の苦しい時期にも箔業界全体の発展のために尽力したことが評価されました。